2018年11月25日小結・貴景勝(22=千賀ノ浦部屋)が、13勝を挙げて見事初優勝を飾りました。
22歳3カ月での初優勝は史上6番目の年少記録という事です。
最近ではなかなか日本人力士が優勝出来ない中、ここへきて若手の骨のある力士が見事に優勝を飾って日本中が大フィーバーとなっていますね。
そこで気になるのはやはり貴景勝関のご両親はどんな子育てをしたんだろうという事。
色々なインタビューやコメントから垣間見えるご両親の子育て法をヒントに、大成する芯の強い子どもに育てる方法についてまとめてみたいと思います。
もくじ
貴景勝の父の厳しさと愛情

「何よりも、自分と真剣に向き合ってくれた。自分一人で来た訳じゃない。感じているのは、厳しさだけじゃないからやってこられた」と父について言っていた貴景勝関。
その言葉の裏には父一哉さんへの信頼と感謝が表れています。
そんな父一哉さんは貴景勝関をどのように育てて来たのでしょうか?
子どもをあえて突き放す
「次の場所で、あいつの真価が問われる」
貴乃花親方に対して「4年間びっちりと精神的にも肉体的にも鍛え上げていただいて感謝しています」
一見突き放しているコメントのようにもに見える貴景勝の父一哉さんですが、これはもう自分の息子である貴景勝に対する愛情の裏返しですよね。
最近では自分の子どもを外でも守る親が多くなっています。
その顕著な例がモンスターペアレントであって、学校の先生が何か注意しようものならすぐ親が子どもを庇うような例が増えています。
でも本当に愛情のある親は、自分の子どもには厳しく接してくださいと先生に言うものです。
貴景勝のお父さんも貴景勝の事を本当に愛しているので、あえて周りのお世話になる人たちには厳しくしてもらうようにしたり、コメントでも突き放すような事を言っているのですね。
それでも子どもはそんな親の本当の気持ちを分かっているものです。
本当は言いたくない事を自分の為に言ってくれてるんだと思い、父親に応えようと努力するようになるでしょう。
あえて厳しく言う父親像というのは現代では薄れてきているのかもしれませんが、愛情の裏返しとしてとても重要な事です。
やるなら徹底的に
小3から本格的に相撲を始めたという貴景勝とお父さん。
「人の10倍ぐらいやりました」という父との練習は、週4日の3部練習に加え、相撲クラブが休みの日は芦屋市の自宅で父とぶつかり稽古。
近所で坂道ダッシュもしたが、閑静な高級住宅街に似つかわしくない親子の姿に「頭おかしいと思われていたと思う」と振り返るなどその練習は圧倒的だったようです。
とにかく圧倒的な練習量。
まあ大相撲で日本一、優勝する訳ですからそれも納得です。
毎日猛稽古。
ぶつかり稽古は30分でも異常な厳しさとか言われる中、毎日2時間の稽古。
コーチを相手に倒れ込んでも「押せ、押せ〜」って諦めさせなかったという事です。
「今は22歳だけど、生まれてからの総稽古量は30歳を超えた力士より多いと思いますね。中学までは毎日夜まで稽古して、テレビのために起きていられないほどの生活。箸も持てないくらい握力がなくなっていた。食後は風呂に入ってそのまま寝る。稽古は365日でしたけど、睡眠だけは10時間とらせました。」
「もう子供の頃に戻りたくないと思っているはず。だから今のきついことにも、耐えられるんじゃないかな。」
このような圧倒的な練習量の原動力はどこから来るのでしょうか?
またこんな逸話も・・
「小3の時は体重30キロだったけど、毎年20キロずつ増えていった。中学生の頃は夕食だけで肉1キロ食べていた。牛乳も2リットル。毎日、スーパーで肉を5パックを買うんです。ある時、店員さんから「ライオンの子供でも飼ってるの?」って(笑)」
さすがにズバ抜けた数字ですね!
「今でしょ」でおなじみ林先生も、
「勉強しても成績が上がらないっていう子が多いんだけど、圧倒的に勉強時間が少ないんだよね!」
と言っていました。
このように何かを成し遂げる人というのは、人一倍努力し、圧倒的な時間や数字を注ぎ込んでいるのです。
では何故そこまで力を注ぎ込めるのかというと・・
高い目標を持つ
貴景勝関は小6の作文に「大相撲に入り、横綱になる」と本気で書いた夢を、ある親に「(小柄な体で)何ができんねん」と鼻で笑われたそうです。
「悔しかったよ。信じてくれるのは親しかいなかった。見返そう。」と父と固く誓ったようです。
スポーツを始め何かを成し遂げた人は、必ずと言っていいほど小学生の頃からはっきりとした夢を描いていますよね。
目標が明確にあるからこそ、周りの目からはおかしいと思われるような練習量もこなせる事が出来たのでしょう。
「将来、強くなってもらいたいという一心で一緒に相撲に取り組んできた。今日という日を夢見て、やってきましたからね。」という父一哉さん!
一哉さんは片道2時間半を運転して出稽古に送迎し、食事を終えるまで3時間を要しても、最後まで付き合ってくれたそうです。
親として生活する為に働きながらここまで子どものためにしてあげるには、自分の時間なんてほとんど無かったのでしょうね。
父親にとっても、貴景勝関と同じ目標を持っていたからこそ二人三脚でやって来れたのです。
目標が無ければおそらく途中で嫌になったら投げ出していたでしょうし、無駄な時間も過ごした事でしょう。
でも明確な目標があったので、明確な課題が見えて、真っ直ぐに突っ走ることができるのですね!
最も大切な愛情表現
厳しさも大切ですが、やはり最も大切なのはここぞという時にかける親の愛情でしょう。
貴景勝のお父さんも普段から時間を費やしてお世話をされていたようですが、それだけではなく、要所要所で言葉でも貴景勝の事を認めています。
「中学生の時も(同い年の)阿武咲(おうのしょう)がバケモンみたいに強くてね。でも、最後の全国中学で勝って抱き合って喜んだんです。」
「初優勝の瞬間、子供の頃の思い出が走馬灯のようによみがえってきました。うれしすぎて、感激のメーターが振り切れちゃうんじゃないかと。」
「貴景勝は大関、横綱になれると思っています。そう信じて稽古させてきました。貴信、おめでとう。」
このように普段は厳しいお父さんも、何かを成し遂げた時には共に喜んだり、挫折した時には慰めや励ましをかけることも大切です。
貴景勝とお父さんはこうした信頼関係が構築出来ていたからこそ、何年も厳しい練習をこなせたのですね。
愛情というのは形あるものではないので、伝わっているようで伝わって無かったり、逆に思わぬところで伝わっていたりするところがあります。
この伝わっているようで伝わらない愛情というのは、やはり言葉によるところが大きいでしょう。
特に男性である父親は言葉にしなくても分かるだろうと考えがちですが、やはり言葉にしてあげないといけない事がたくさんあります。
「ありがとう」
「よくやった」
「おめでとう」
と言った言葉を子どもにかけるのは照れ臭いかもしれませんが、子どもはそうした言葉によって認められていると感じる事ができます。
献身的で優しい母親
もう1人忘れてならないのは母・純子さん(51)です。
優勝の瞬間「夢のような、信じられない瞬間でした」と喜びをかみしめた母純子さんでしたが、それまでには本当に言葉では言い表わせないほどの苦労があったと思います。
自分がお腹を痛めて産んだ可愛い息子が力士になるという訳ですから心配しないはずはありません。
それでも葛藤しながら献身的なサポートは親として本当に学ばされます。
夫と息子のサポートに徹する
純子さんは当初、息子の大学進学を希望していたようです。
「相撲は頭からぶつかるし」と心配し、相撲を続けることに内心では反対でした。
自分の可愛い息子が目の前で相手に張り手されたり、投げ飛ばされたりするのを見るなんて母親からすればたまらない思いでしょう。
それでも純子さんは、そうした自分の感情を押し殺してサポートに徹します。
「幼い頃、スーパーで肉を毎日1キロ買って息子の夢をサポート。食費は家族で1カ月30万円に達した。」
自分では不本意な息子の夢。
それでも全力でサポートしてくれる母親に、貴景勝関も唯一自分の本音を漏らす事が出来たようです。
貴景勝は今場所の前半戦、「体がもたない」と母だけに弱音を打ち明けていたようですね。
「私は本当にサポート。食事や精神面のフォローをしていました」。食費は毎月30万円もかかっていたというから驚きです。
「本当は最後まで(力士になることに)反対していた」
「貴乃花部屋に入ったとき、腹をくくりました」
こうした母純子さんのコメント一つ一つが本当に重みのある素晴らしいお母さんだった事を伺い知れます。
大人というのは子どもに対してついつい答えを出してしまいがちですよね。
子どもの夢や進路なども親が子どもに押し付けてしまう方が安全ではるかに楽なのかも知れません。
そんな中貴景勝のお母さんは本当に苦労する道を選ばれ、立派にサポートし、また貴景勝関の精神的なよりどころにもなられました。
夫婦それぞれの役割が見事にハマった素晴らしい子育て法によって貴景勝関は見事幕内優勝という偉業を成し遂げる事が出来ました。
●まとめ●
貴景勝関の幕内優勝の陰にはご両親の素晴らしい子育て法がありました。
夫婦の役割がきちんと分担され、素晴らしい愛情に満ちたご両親でした。
夫婦が協力する事、そして忙しくても子どもには時間と手間ひまをかけなければならないことの大切さを知る事ができました。
まだまだ22歳という貴景勝関!
今後が楽しみですね。
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